みなさんはじめまして!
そして、この「hocagoブログ」にお越しいただきありがとうございます!
突然ですが、みなさんは《青春》という言葉で何を連想しますか?
みなさんは今まで《青春》を味わったことはありますか?
わたくし凌汰郎は、ずっと《青春》という得体の知れぬモノを探し続け、周りの方からすれば「迷走」以外の何物でも無い、痛い学生生活を送って参りました。
それでもなお、《青春》とはなんぞや? という問いに答えられずにいる凌汰郎ですが、僕の仲間は未だ見放す事なく、しょうもない青春論に付き合ってくれます。本当に幸せ者です(笑)
その仲間の一人、ユトリ・コナヒキ君と今回立ち上げたサークルこそが、何を隠そう「hocagoプロジェクト」なのです。
「hocago」について少しでも興味を持ってくれた方は別の記事で少しまとめましたので是非読んでくださいね(面白く無い、時間を返せ等の苦情は受け付けておりません)。
今回は、自己紹介を兼ね、わたくし凌汰郎の”過去と現在”について少しだけ紹介させてください。
「お前は不良か?優良生徒か?」
福島県の田舎で育った凌汰郎は、自分で言うのもアレですが、馬鹿がつく程のお人好しでした(笑)
小学校の運動会では、パン食い競争でパンが取れない友達の所にわざわざ戻り、一緒にビリッケツでゴール。頼まれた事にはNOと言えず、いつの間にか学級委員やイベント役員の常連に。
一見それだけ聞くと、何だ、ただ優等生ぶりたいだけじゃ無いか、と思われるかと思いますが決してそうではありません。むしろそれ以外に取り柄がなく、自分のことに無頓着な人間だったのです。
高校になると、委員会活動も板につき、自ら生徒会副会長に立候補し当選します。
しかし、その時の成績は学年ワースト10に入る、選ばれし馬鹿。
その挙句、校則で禁止されていたバイトを始め、バイト先の店内でバッタリ高校の先生と遭遇する始末。
生徒指導の先生には「お前は不良か?優良生徒なのか?」という名言(迷言)を頂戴し、10代にして迷走コースのスタートを切った訳です。
No バイト , No ライフ
勉強が大嫌いだった迷走ボーイ凌汰郎ですが、ある事で大学に行く決意をします。それが店内教師バッタリ事件が起きたバイト先だったのです。
ただでさえ勉強できないお馬鹿さんがバイトを続けさせてもらえるわけもなく、3ヶ月で強制退職。
しかし、もうその時には「働く」という充実感、達成感を味わってしまっています。ましてや、自分の都合で辞めてしまったバイト先に申し訳が立たず、数ヶ月立ち直れずにいました。
そして、いつか迷惑をかけた方に償いたい、と感じ、経営学を学ぶ決意をしました。
頭の良い大学に行くことはその時点で手遅れでしたが、親に懇願し、親もこのままフリーターになられるのは…と思ったのか、なんとか経営学部がある他県の大学に入学させてもらいます。
大学の講義は楽しく、一年生の前半は誰よりも勉強し、成績上位に下克上。
しかし、2年生になる前の冬、あるものに出逢います。
そう、バイトです(笑)
言い忘れていましたが、高校の時にバイトした店は、あの有名な某大手コンビニエンスストア。そして大学で始めたバイトも同じコンビニ。
しかも今回は一人暮らしをしているので誰にも怒られることはありません。
初めてすぐに高校時代の感覚が蘇り、バイトに没頭し始めます。
コンビニは、あの小さな店舗に経営の全てが詰め込まれているロマンの塊です。何か営業に問題があった日には先輩スタッフと夜中まで解決策を模索し、ベテランスタッフにしか任されない「発注業務」の担当になった日には、泣くほど喜びました。
この日本に数多といる「バイトしすぎて留年しました系大学生」の一員となった凌汰郎でしたが、やはり自分のやりたいこと・好きなことはそこにあって、大学の講義を受けるより何倍も経験になると信じて疑いませんでした。
それぞれの店舗が様々な問題を抱えていて、それを財務諸表という数字で見るより、実際の現場で問題を解決することが自分の役目だと確信していたのです。
その「現場主義」の考え方は今も変わっていません。
そして、結果的に行き着いた答えは「中退」でした。
必要とされる場所。自分がやりたいこと。
2年で大学を辞め、問題を抱える店舗の力になれるよう、地元に帰り、独学でマーケティングの勉強をしながら、経験のため異業種(飲食店)のバイトを始めます。
しかし、思い返してみてください。地元に帰ったということは、大学時代に働いていたバイト先をまたしても辞めて、結局お世話になったお店に迷惑をかけることになったわけです。
ね、迷走してるでしょ?
地元に帰っても前のバイト先の夢を幾度となく見ました。
申し訳なさ、そして自分がいなくても元バイト先は平然と営業をしているという切なさ。
自分が悪いのにね(笑)
そういった感情を全て新しいバイト先にぶつけました。
新しい仕事はなかなか慣れることが出来ず、助けるどころか怒られてばかりでしたが、怒鳴られるたびに「もっと成長しなければ」と言う情熱が湧いてきます。店舗さんもフリーターでいつでも快くシフトに入る僕を丁寧に教育してくれました。
そんなこんなで約2年。同世代と比べると圧倒的に”現場”に携わっているという自信も持てるようになり、将来はマーケティングの知識を生かして自分のお店を持つんだろうな、という漠然とした考えを抱いていました。
はい、またまた迷走してます。
いつも目の前のことに夢中になりすぎてしまうのです。人の意見をNOと言えず、はいはいと受け入れていた少年は、目の前の仕事に全てを注ぐスーパー社畜体質になっていました。いや、その体質は生まれつきだったとも言えるでしょう。
しかし、その頃から僕の心を動かす出来事が多発。
少しずつ、僕の同級生たちが正社員として就職をして、社会に出て行くようになってきます。
そして、みんながみんな、口を揃えて言うことは社会の苦しみ。
僕の周りには、僕なんかより頭が良くて、才能がある仲間ばかりいました。その仲間たちが少しもその力を使いきれず、精神的に折れてしまいそうになっています。
しかし、それが社会です。僕もフリーターでありながら、みんなが越えていく壁なんだと理解しているつもりではいました。
でも本当にそれでいいのか?
僕の役目は”現場”の問題を解決に導くこと。僕の仲間だけではなく、それぞれの企業が”現場”の問題を抱えています。
そう感じた時、呪縛が解けました。
またバイト先に迷惑をかける決断をしたのです。
迷走ランナーの行方
全ての”現場”を解決に導く、そんなこと簡単に出来るものではありません。
でも、こんな価値観を持った以上、引き返す事はできません。
僕は『デザイン』の力を借りる決意をしました。
突然な展開ですみません(笑)
本当に下手くそな人生選択だと自分でも思います。
しかし、デザイナーとして、店舗・企業のブランディングをすることが、現場の環境を改善し、より良いものにすると、そう感じたのです。
そして何より、こんなお馬鹿さんでも、たとえ大人になってからでも、自分がやりたい事で生きていける事を証明したい。自分を壊してまで今の生き方に縛られる必要がどこにあるのか?
そんな事を伝えるために今の夢を目指し、「hocagoプロジェクト」を結成しました。
ちなみにデザインはほぼ無知から始め、職業訓練校のデザイン科に半年通い、現在は地方の印刷屋で制作担当をしています。
見習いの下っ端ですが、なんか無駄に情熱はあるやつだ、と思って頂いてるようで、少しずつ経験を積ませてもらっています。
僕がどのようにデザインと出会ったのかはまた違う機会にしましょう。
冒頭で《青春》とは何か、という問いをしました。
それは僕もわかりませんし、きっと答えは人間の数だけあるでしょう。でも、少しでもこの話に《青春》を感じてくれたら嬉しく思います。
もちろん、あなたの過去にも《青春》はあります。
そしてそれはあなたの将来を切り開く指標になるかもしれません。
あなたが若者であっても、そうでなくても。
答えのない話を最後まで読んでくれてありがとうございます(笑)
自己紹介とは一体…(笑)
それとこの話の全貌は相棒のコナヒキにも話した事が無かったので、この記事が初お披露目となります(笑)
恥ずかしいので、他の友人にはまだブログのURLは教えないことにします。
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