僕がどんな人間か一言で表すとしたら、「よくわからないヤツ」だ。
自分がどんな人間かを表現するのは難しい。自分は自分であって、それが当然で平均的であるのだから、言葉にはし難い。
それでも自分を一言で表そうとするならば、「よく語るヤツ」だと思う。
僕を知る友人ならば大抵はこの表現に納得してくれるはずだ。まあ何故語るのか理由が不明な時点で「よくわからないヤツ」には変わり無いのだろうが・・・。
今日はそんな下らない話、凌汰郎こと鈴木凌太の客観的な自らの話をしようと思う。
僕は今まで抱いてきた夢が多い。音楽アーティスト、音響スタッフ、公認会計士、中小企業診断士、新聞記者、ブログライター、ゲーマー。挙げだすと切りがない。結果的に現在は自分が一番夢中になれた「デザイン」のプロを目指している訳だが、ここまで夢を持ち続ける理由は一体なんなのか。
それは恐らく「自分が何者なのか=自分の価値」であると考えているからだ。
この思考をわかりやすい言葉にするならば「手に職」が一番近いだろうか。しかし「手に職」であるとするならば夢は少ないに超した事はないのだから、それからは少し逸脱している。もし何かのプロになりたいと思うならば、一つに情熱を注ぐべきだ。それでも夢を抱き続けるのは、浅く広い趣味と影響を受けやすい体質であるからだろうか。もちろん、好きだと心から思うからこそ、目指したいと感じるのだが。
このことは、自分が「よく語るヤツ」と表現する訳と似ている。
僕が「語る」のには案外、理由が存在する(気がする)。それは三つ。
一つは自分が価値ある存在であると主張するため。自分の考えを知ってもらって、やっと其処に存在する権利を得る、そう思っているのだろう。
もう一つは今回はあまり関連のない話だが、「語ることはダサい事だ」という現在ある若者の風潮を嫌悪しているから。詳しくはまたの機会にするが、僕の前世はきっと、戦後の学生運動が盛んだった頃を生きた人間だと思う。
三つめは一つめと通じるものがある。それは「自分に自信がないから」。自分はその場にいるだけでは、一人として扱われない、そんな不安が僕を語らせているのかもしれない。
余談だが、僕は自分が語ることにあまり抵抗がない。語り尽くした自分が何も残らない抜け殻になる不安は確かにあるが、自分の本質は自分でも語れない「本能」に近い所にある気がするからだ。そして、その「本能」の部分さえもいずれは言葉に紡ぐ義務があると僕は思う。どうやら僕は、生きている限り「語る」ことができそうだ。
ここまでで、「だと思う」とか「恐らく」だの、自分のことにも関わらず憶測のような話し方をしてきたが、それは丁度今書いたように自分の「本能」の部分であるし、自分でも把握していないからだ。
それでも自分を客観的にまとめたこの文章でわかる事は、自分はネガティブ的動力で行動しているという事。自分は自分のままでは何の価値も生産しないと感じている事。それでもこんな文章を書いてしまうほど我が強い事。
そのネガティブと自己主張の強さのギャップこそが自分が「よくわからないヤツ」たる所以なのかもしれない。
皆さんは自分が客観的に何者か考えた事はあるだろうか。もし、そんな生産性のない思考には無縁だと感じているのならば、騙されたと思って一度考えてもらいたい。もちろん答えは出ないだろうし、出してはならないものだ。後者は持論だが。
僕が思うにそれは、とても「青春」だ。
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