僕が高校生だった頃、ドトールのブレンドコーヒーは二百円だった。
おそらく学生時代に一番飲んだコーヒーはドトールのSサイズのコーヒーだろう。休日は友人とテスト勉強という名目で毎週のように行っていたし、受験シーズンになると、毎朝学校から1キロ離れたドトールで1時間ほど勉強をしてから登校するのが日課だった。
それだけ通い詰めていると財布のお金はあっという間に消えて行くので、注文するのはいつも二百円のブレンドコーヒー。お高くて甘いドリンクはほとんど頼まなかった。
最初の頃は砂糖とミルクを多めに入れて甘くして飲んだ。価格は二百円なのに甘いドリンクが飲める。とても得した気分だ。
受験が近くなると眠気を飛ばすためにブラックで飲むようになった。この頃を境に砂糖とミルクは入れなくなった。
どこにでもある、ありきたりなコーヒーとの馴れ初め。
人よりもコーヒーを愛していた訳ではないし、まだまだジュースの方が好きだった。
大学に入ると僕はコンビニでバイトを始めた。その頃からコンビニコーヒーのクオリティが急激に上がり始める。
身近にある美味しいコーヒー。しかも価格は百円。バイト終わりに煙草を吸いながら飲むコーヒーは至福だった。
ある時、僕は大学を中退して地元 福島に帰った。そして運命のコーヒーと出会う。
そのコーヒーを売る店は自宅から5キロ圏内にある小さなコーヒー豆屋だった。小さなプレハブを店舗にしているそのお店は静かな住宅街の中にポツンとある。
狭い店内には瓶に詰められたコーヒー豆と焙煎機。喫茶店ではないがお客から注文があれば店内でコーヒーを淹れてくれる。
冬の寒さ真っ只中の1月、空調が効いたプレハブで飲んだモカとインドネシアのブレンドコーヒーは今でも忘れられない。
「自分の手で、このコーヒー豆の繊細で大胆な味を抽出してみたい」
僕は2月に喫茶店でバイトを始めた。入りたての新人がカウンターでコーヒーを淹れることは許されなかったが、コーヒーに囲まれた中で働くことができる、それだけでも嬉しかった。そのぐらい、いつの間にかコーヒーが大好きだった。
家では一日三回は抽出した。コーヒー豆に費やす費用は月に一万円近かった。
それから3年。喫茶店のバイトは辞めたし、淹れる回数も一日一回に減った。でも、趣味としてのコーヒーを辞めようと思ったことは一度も無い。
それはカフェイン中毒だからだけでは無い。人の人生を動かすほどの力があるその不思議なドリンクに、芸術のような自由度と物語を持ったそのドリンクに、魅入っているのだろう。
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